東日本大震災から今日で8年目になりますね。
私は被災地にてその震災に遭いましたが、
当時、職場でデスクワークをしていたのですが、誰かの携帯電話の緊急アラームが鳴ってすぐに、大きな横揺れが起きました。
一度収まったかにみえた揺れも、またすぐに始まるという揺れを繰り返しながら、隣のデスクにいた年配の女性がたびたび悲鳴をあげ、隣にいる私の腕をひっしで掴んでいたのを覚えています。
私は、以外にも落ち着いておりその女性に「大丈夫ですよ…」と何度も声を掛けていました。
避難指示の放送が社内に流れ始めると、屋上へ避難せよという事でした。
3月11日は、まだ雪もありとても寒いと判断した私は、皆がそのまま屋上へ向かう中、皆とは逆の方へ向かい、一人コートを取りにロッカーへと向かいました。
皆から少し遅れて、屋上へ辿りついたときには皆、海の方を指さしながら何やら言っていました。
私も、屋上の端に行き外の状態を把握しようと覗き込むと、屋上からちょうど見える海では白いけむりのような霧のようなものがうっすらと確認できました。
それから、帰宅指示が会社から言い渡された私は、駐車場へ向かいましたが、道すがらものすごい渋滞にでくわしました。
頭の中は、子供が通う小学校へ早く迎えに行かなければならないという気持ちで、いっぱいでした。
どの道も渋滞でどこか空いている抜け道はないものかと考えていると、ひとつだけ空いている道がありました。この道から小学校へ行くルートもすぐに脳裏に浮かび、何の迷いもなくその道に車を走らせました。
途中、まったく人ひとり車もいない道路を走っていると、地面が濡れているのに気づきました。
それでも、特に疑問には思わず小学校へと向かう道を走っていると坂の上から人だかりの影が見えはじめ、だんだんと近くになるにつれて何やら手を振っているように思えました。
「何だろう?」
と思いながらもどんどんその人だかりのある坂の頂上付近に差し掛かると、今度は口を開けて何かを言っている様子が見てとれました。
外は寒くて、窓を開けて聞いてみようとは考えもしなかったので、そのまま走り続けました。
ふとその人だかりの中の人の顔の表情がわかる距離に近づいたとき、その人が必死の形相で何かを叫んでいるというのが分かりました。
その人の表情と手の動きから…
「早く早く、後ろうしろ」
というふうに、私には聞こえてきました。
ふと、バックミラーを覗くと後ろから高い波が押し寄せていました。
もし、ちょっとでもあと何分か遅くこの道を走っていたら、私はきっとこの波に呑まれていたに違いない!とひしひしと身に感じざるおえませんでした。
今日で8年が経ちますが、私の思いはあの頃とまったく変わらず、今も尚この日亡くなった方や行方不明の方への思いを込めて毎年、ご冥福をお祈り致しております。
なぜ、私は助かったんだろう?
私にとってこの8年間は、辛く悲しいことの連続でした。
「死にたい」と思うような事もありました。
あのとき津波から逃れられたのは何故なのか?
辛く死にたいと思うときにはいつも考えてしまいます。
私が助かった理由がこの先見つかるのかなと…??
今は、未来のことなど考える暇もなく日々生きていますが、
この震災の日が訪れると、精一杯のご冥福をお祈りするばかりしかできません。